他人にとっては大事でも、自分にとっては大事ではない、というものは、たくさんある。
当たり前の話だ。
部活が大事な人もいれば、勉強が大事な人もいる。
しかし「大事にして当たり前」ということが決められて、なんとなく外れてはいけない雰囲気ができると、
本当は自分にとっては大事でなくても、なんとなく大事なような「気がする」ものだ。
社会的に(所属集団的に)大事だとされているものは、その中では理論武装がなされていて、いかに大事かが盛んに語られる。
そこを論理的にぶち破るのは結構難しかったりする。
しかも一度そういう風潮が出来上がってしまえば、安心したいがゆえに色んな人がその「大事なもの」を持たせようとしてくる。
とりあえずお得だから持っとけよ、我慢してもらっとけよ、と言われたりする。
でもさ、そんなてめえらの好みとか都合なんて正直知らねーよ。
いらねーものはいらねーんだよ。
とおれは思う。
とりあえずお得そうだから持っておこう、とすると人生は複雑になってしまう。
一度それを持ってしまえば、失うのが怖くなる、もったいなくなる。
そうするとどんどん荷物が増えていって、動きが鈍くなり、身動きがとれなくなっていく。
そうしていつしか、本当に行きたかったところには行けなくなっている。
でもみんなには「いいね!」って認められるから、なんとなくこれで良いような気がする。
本当に行きたかったところはどこだったのかすら分からなくなる。
はじめは大事だと思っていても、途中でやっぱり違った、と気づくこともあるだろう。
そういう人はむしろ感性が鋭く、常識を外して考えることのできる賢い人だと思う。
なのに、途中でやめようとすると、それは逃げだ、甘えだ、すごく大事なのに!と怒る人が出てくる。
そんなのは気にしなくて良い。
その人にとっては大事だというだけで、自分が違うと思うのなら、その感覚を信じるべきだ。
やめよう、という決断は大体の場合において正しいと思う。
辞めるのは始めることの何十倍もエネルギーを使うことだから。
自分にとって「どうでもいい」と思えることを増やしていく。
そうすると視界が少しずつクリアになっていく。
なにをやりたいかわからない、という時は、「なんとなく大事なもの」が多すぎるのかもしれない。