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【映画ホビット】方法に自分を合わせるのではなく自分なりの戦い方を見つけること

弱者には弱者の戦い方がある。

 

それぞれの戦い方を知らないと世間の勢いみたいなものに飲まれてしまう。

 

 

 

個性という言葉は好きじゃないが

 

やはり個性というものは歴然と存在するわけで。

 

いわゆる世の中的な「こうすれば成功する」みたいな方法を

 

簡単に実践できて、うまくいく人もいる。

 

でも逆にそういうものを実行できない人もいる。

 

どうしても苦しくなってしまう人もいる。

 

世の中的な良いとされるものにどうも適応できず

 

苦しさを抱えてしまう人もいる。

 

 

 

個性とかの話で奇妙に感じるのは

 

なんとなく個性を賛美する風潮はあるくせに

 

世の中的な良いとされる方法に適応できない人に対しては

 

平然と「方法」に合わせることを要求してくることだ。

 

人に合わせて方法を考えるのではなく

 

方法がありきでいかにその方法にできないやつを合わせさせるか

 

というところしか語られないことだ。

 

そんな言い方をされれば、できない人は

 

自分はみんなと違うダメな人間なのだ、というような意識を持たざるを得ない。

 

そりゃ自分を責めるしかなくなってしまう。

 

 

 

例えば朝型の人もいれば夜型の人もいるわけで、

 

でも朝は何時に始めるべきだ、ということは多くの場合決められている。

 

出勤なり通学なりは毎日するもので日々コツコツとやるべきだ、

 

ということが当たり前だが、

 

調子のいい時にドカンとやる、というのは

 

多くの場合認められない。

 

 

 

結局多くのことが上に立つ人の都合のいいように作られていることは明白で、

 

おれたちはやっぱり踊らされているのだ、と感じる。

 

道徳とかでは個性を大事にとか言って機嫌を取っておいて

 

一方で社会の在り方は個性に方法を合わせるのではなく

 

方法に人を当てはめることを優先させている。

 

じゃあ社会が悪いんだ、と糾弾したところで

 

それも意味はない。

 

意地悪しようと思ってそういう仕組みに誰かがしたわけでは

 

ないはずだからだ。

 

効率よく、経済的に安定した方法を追求した結果、

 

そういうものになっていったんだと思う。

 

犯人捜しをしたところでおれたちにメリットはない。

 

 

 

でももうそうやって自分を殺し続けて生きていくことに

 

みんな限界を迎えていることも一方で事実だ。

 

だからおれたちは

 

いい加減世間的な弱者には弱者なりの戦い方があり、

 

それを身につけなければならないのだ

 

と気づかなければならない。

 

冷静に弱者なりの戦い方を身につけていくしかないのだ。

 

 

 

映画『ホビット』を見てそんなことを思った。

 

主人公のビルボは力も強くないし特殊な能力があるわけでもない。

 

でも自分なりの戦い方を見つけ、仲間から認められる。

 

認められたのは筋トレをしてむきむきになったわけでも

 

魔法を練習したわけでもない。

 

仲間から認められたいと思って彼がそんなことをしたとしても

 

たぶんうまくいかなかっただろうと思う。

 

 

考えることはいくらでもあるなあ。